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2013年5月9日木曜日

リバ邸の空気感

Photo by everystockphoto

「駆け込み寺」と銘打っているリバ邸ですが、実際に来てみて感じた独特の空気感というものを紹介したいと思います。



リバ邸=「駆け込み寺」?

まず、いまのリバ邸のように、「生きづらい人や何をしたらいいかわからなくなってしまった人は来てしまいなさい」という考えの元は、当然ですが、家入さんの想いから作り上げられました。自身のブログにはこう書かれています。


Livertyで立ち上げた、六本木の駆け込み寺シェアハウス、リバ邸。

僕が発信しているメッセージは単純で、死を選んだりノイローゼや鬱になるくらいだったら、さっさとその場から逃げろということです。逃げた先で居場所をまた作ればいい。居場所を中心とした濃い関係性の構築が、自殺者を出さないシステムになる。それを僕らはアジール(駆け込み寺)と呼んでいます。

このように、リバ邸を立ち上げたもともとの理由が、家入さんの言う「駆け込み寺」をつくるためだったといえます。しかし、ここでいう「駆け込み寺」とは何なのでしょうか。



リバ邸には、毎日ひとりかふたりくらい、駆けこんできたり、遊びに来たりする人がいます。言い換えれば、リバ邸に来る人自体は大勢いるので、リバ邸に来たからといって何かが変わるということでは決してないということだと思うのです。家入さんも、次のように書いていたことがありました。

Livertyに入りたいって声はたくさんもらうけど、僕らは別に何も強制しないから、本当に何かを変えたいのなら、積極的に自分から絡んでいかないと。僕らはゆるい繋がりの組織だから、入るのも出るのも入ったまま何もしないのも自由。仲間がいる場所がある。ただそれだけだからね。

リバ邸に来てからこの言葉を見た時、「ああなるほどな」と思いました。



「駆け込み寺」とはただの場所

前述したように、リバ邸にはしょっちゅう人が来ます。故に、いつでも「Heeeey! Welcome to the Liver!」というわけにはいきません。リバ邸住人だってそれぞれの人生・生活があるわけで、たまたまやってきた人を相手にするほど余裕がないときだってあります。では、リバ邸を「駆け込み寺」と言わしめているものはいったい何なのでしょうか。それは、一言で言うと、場所だと思います。



場所とは、好き勝手にプロジェクトを起こしている仲間、なんでもやっていいんだと思わせてくれる仲間がいるという環境です。その環境が、リバ邸の場合、誰をも拒まず外に開かれています。しかし、拒まない代わりに、何かを強制することもない、それは、「リバ邸(Liverty)に来れば何かが起こる」というわけでないということです。家入さんも言うように、仲間のいる場所がある、ただそれだけです。それが結果的に、同年代の若者への刺激を与えたり、Webの技術を教えてもらうことができたりして、プラスに働くのだと思います。



駆け込み寺」に何を求める

ここでいう「駆け込み寺」とは、「行けば何でも面倒を見てくれるところ」ではありません。確かに場所はあります。仲間もいます。色々な人に会える環境があります。しかし、自分で何かを変えようと行動しなければ、それはもはや観光です。だから、リバ邸に何かを期待し過ぎるのは良くないのではないかと思います。



筆者も3日ほど前に住み始めたのですが、正直放っておかれている感が否めません()。かしこまって挨拶するなんてなかったし、オリエンテーション的なものもありませんでした。というか3日くらいしてやっとちゃんとした部屋に案内されました。ただ、自分から動こうとすれば答えてくれます。何でもできる気がしてきます(気だけかも)



これが、僕が感じたリバ邸の空気感で、少しでも伝わればいいなと思います。



「駆け込み寺」とはただの「場所」。家入信者ではありませんよ。

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